凡人を育てるための日本の学校

エディ・スナオの呟き

なんのための?研究授業

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 学校では、定期的に研究授業と言われるものがあります。

 

 これは、教育や教師の質を上げるため、一人の教員がする授業を、校内の他の教員(時には地域や地区などの広範囲の教員が集まることも)が見て、評価すると言うもの。

 

 一見質を上げるためには効果がありそうな印象がありますが、果たしてどうでしょうか。確かに、多くの視点から授業を見るため、授業者の説明の仕方、生徒との関わり方について、他の教員から助言をもらうことは有意義です。また、同じ教科の教員であれば、重きを置くべき視点の違いなども参考になると思います。

 しかし、以下の点についてあまり意味がない活動であることを指摘できます。

①授業者が、研究授業のために特別な準備をすること

ホーソン効果(簡単に言うと、注目されることで頑張ろうとする心理効果)が働き、授業者も生徒も普段の状態ではないこと

③一つの授業だけで、授業者の指導力や子どもの成長を見とれないこと

 

 ①について、多くの場合、その授業のためだけに準備をする先生が多くいます。だから、その教員のいつも以上に力の入った授業を評価することになるので、普段の状態は全くわからないため、正しい評価にはなりません。

 さらに②によって、授業者はもちろん、生徒も構えた状態になります。最悪の場合、授業者から「研究授業だから頼むぞ。」なんて言われる場合もあります。

 そして③について、その授業がどう生徒に効果があったか、その時点での評価は当てになりません。当たり前ですが、その場で授業を受けているため、記憶に新しいです。それが後日どうなっているか、そこでの記憶量でどれだけ授業が影響しているのか、評価できるはずです。それが普段の教員の授業ではないことはもちろん、領域や単元、内容によって教え方が変わることも評価しにくい理由の一つです。たまたま得意、たまたま不得意なんてこともなきにしもあらずです。

 

 何も私は研究授業の全てを否定しているわけではありません。もっと意義のある研究授業をすべきだと思っています。今のままの研究授業では、ただの教員たちによる、「研修を深めた」という自己満足でしかありません。

 

 これらを打破するための解決策として、例えば、

・普段の授業から、教員は他の授業を参観する

・対象の教員や児童・生徒、教科などについて、年間を通じて研修(観察研究)を行う。

・大学や研究機関と連携し、常に外部からのフィードバックをもらう。

 

 などでしょうか。教員の成長なくして子どもたちや教育の成長はありません。より効果の高い教育を施せるよう改善していくべきです。