レッテル貼りまくり
皆さんは、どれほど自分の能力や性格が可変だと思っていますか?
実際多くの研究で、性格は変わることが明らかになっています。例えば、進級・進学・就職などで人間関係が変わること、引っ越しなどで生活を取り巻く環境が変わること、歳をとること(成熟原理)、行動することなどです(1)。
実生活に落とし込んで考えてみましょう。海外に引っ越すことが顕著な例です。何も知らない土地で暮らし、言葉の通じない人と関わりを持他なければならないとします。日本と文化が違うことは明白なので、内向的な性格が外交的になったり、保守的な性格が開放的になっていきます。
日本国内においても、年齢に応じ、さまざまな環境の中で、さまざまな性格の人と接するだけでも、考え方は変わっていくのではないでしょうか。
これらの原点には「行動」があります。引っ越しや就職は簡単なことではありませんが、自分自身が決める行動です。内向的な人で勇気がなくても、「人に話かける」という行動は取れるはずです。結果的に行動の積み重ねが性格を変えることになります。
なんとなくおわかりいただけたでしょうか。イメージはできると思います。
前置きが長くなりました。
しかしながら、教育現場では、この子は「やる気がないから無理」「家庭環境が良くないから仕方ない」など、決めつけのような言葉が飛び交っています。
果たしてこれらはどうしようもないことなのでしょうか。
振り返ってみましょう。性格は変えられることを最初に挙げました。小さな行動の積み重ねが性格を変えていきます。性格が変わればさらに行動しやすくなります。似たようなことがこちらの本にも書かれています。自信がなくても行動すれば自信はあとからついてくる [ ラス・ハリス ]
家庭環境や経済力はなかなか変えられませんが、学校での関わり方次第でいくらでも変えていくことができるはずです。
従って、教師が学校で言う「この子はいくらやっても無理」「仕方ない」と言うレッテルが、性格を変えられなくしています。何たるひどい行いでしょう。それを植え付けられたその子どもは、まさに一生変わらなくなってしまうかもしれません。
まずは、教師自身の関わり方を見直すべきです。これも教師の成長マインドセットがない所以でしょう。学校は、教師が子どもたちの眠っている力を見つけ、伸ばすべきであり、自分の能力のなさを棚に上げる場ではありません。
できない理由を生徒のせいにするのは、教師として恥ずべき姿。しかし、この考えを持った教員がなんと多いことか。非常に残念です。
参考